
昭和100年/終戦80年企画展「田辺聖子が書いた1945年8月」が8月1日、大阪樟蔭女子大学田辺聖子文学館(東大阪市菱屋西4)で始まった。
作家の田辺聖子さんは1928(昭和3)年生まれ。1944(昭和19)年4月から1947(昭和22)年3月まで大阪樟蔭女子大学前身の樟蔭女子専門学校に在学し、大阪大空襲、終戦、戦後の価値観の転換など、激動の3年間を過ごした。
開館記念日に合わせて6月に開催した第1弾の企画展では、田辺さんの日記や作品から6月1日の大阪大空襲に関連する資料を展示した。企画展第2弾となる今回は、終戦前後の日記や8月の日記に関連する作品など、26点の資料を展示する。
「田辺聖子 十八歳の日の記録」(文芸春秋)は、在学時の1945(昭和20)年4月1日から1947(昭和22)年3月10日までの日記で、田辺さんの没後に発見され、2021年12月に単行本として刊行された。同展では、1945年8月11日・13日・15日の日記のパネルと日記の一部を公開した雑誌記事、書籍を展示する。
同館学芸員の住友元美さんは「終戦までの日記は筆致が弱々しかったが、終戦の日の日記はトーンが強く、力強い。元の日記と雑誌では『我等一億同胞胸に銘記すべき八月十四日』と書かれているが、単行本では『八月十五日』と書き換えられているのを確認することができる。日記に残るマーカーや色鉛筆、書き加えられた文章は後に作家になってから書いたもので、作品にはその部分の描写が登場する。自身の日記だが資料として客観視していることが分かる資料」と解説する。
隣の展示ケースでは、日本の敗戦について1991(平成3)年に書いたエッセー「八月十五日に思うこと」の直筆原稿を初公開する。「あと4年生きたら終戦50年の節目で、大阪空襲についても調べている時期。新聞小説『おかあさん疲れたよ』につながっていることが分かる」と住友さん。田辺さんが郡是工業(現・グンゼ)で学徒勤労動員のために寮生活を送っていた1945年に執筆した「エスガイの子」と共に展示する。
戦争を伝えるために書いた作品の資料では、「花狩」の直筆原稿や「おかあさん疲れたよ」の掲載紙スクラップブックを展示。住友さんは「『花狩』は、日記と読み比べると日記を元にしていることが分かる。『おかあさん疲れたよ』は、生かされた者としての意識が強く、書き残さなければいけないと思っていたことが分かる作品。思い入れが強く、何度も書き直している」と話す。自伝的作品では「私の大阪八景」「欲しがりません勝つまでは」「楽天少女通ります 私の履歴書」「田辺写真館が見た『昭和』」を紹介する。
8月12日は13時30分から、住友さんが展示解説するギャラリートークを行う。
開館時間は9時~16時30分。日曜・祝日、8月13日~17日休館。入場無料。8月30日まで。