東大阪市民美術センター(東大阪市吉田6、TEL 072-964-1313)で2月12日、特別展「没後30年 須田剋太展~今、甦る、須田剋太ワールド 抽象・具象・書~」が始まった。
1906(明治39)年に埼玉県で生まれた須田剋太は独学で油画を学び、1936(昭和11)年の文展で「休憩時間」が初入選。1947(昭和22)年には妻・静さんの肖像画「ピンクのターバン」が日展で特選を受賞するなど、戦前から戦後にかけ官展で活躍した。
関西の古い文化に興味があり、憧れを抱いていた須田剋太は戦後、西宮に移住し、1949(昭和24)年に抽象画家の長谷川三郎と出会って以降、これまで主に制作していた具象化から抽象画に転向。1971(昭和46)年から1990(平成2)年に亡くなるまでは、司馬遼太郎の紀行文集「街道をゆく」の連載で取材旅行に同行しながら挿絵を担当し、この挿絵の仕事を機に、再び具象画を描くようになった。1990(平成2)年、「街道をゆく」の挿絵原画など約2200点の作品を大阪府に寄贈。同年84歳で死去した。
没後30年を迎える今年、市内に司馬遼太郎記念館があることや市民美術センターの吹き抜け階段の壁面に「街道をゆく 河内のみち」の挿絵「若江村ダンジリ夜景」を拡大して作られた陶板壁画が飾られていることなどから、同館で回顧展が開催される運びとなった。同展では、具象画や抽象画、書の作品など未発表を含む100点の作品と、須田さんのトレードマークのデニムや眼鏡、使っていた絵筆やパレットなどの資料から、須田剋太の画業・書業を振り返る。
須田剋太の作品は大胆な筆致とコラージュが特徴で、同展を監修した大阪府府民文化部文化課研究員の中塚宏行さんは「折り紙やキャンディーの包み紙などの切り紙を貼り付けることで作品に奥行きやリアリティーを生み出している。北魏の書や顔真卿(がんしんけい)の書に影響を受け、我流の書の作品も多く残している。個性的なスタイルが他の前衛書家から高い評価を受けている」と解説する。
同展では、遺族の須田正子さんの手元にある未発表作品も多く展示している。同展について、中塚さんは「抽象画の大作を見ていただく機会は少なく、高く評価された書も展示する。抽象画、具象画、書の全てを展示し、須田剋太の全貌を見ていただける」と話す。
2月22日には須田正子さんと中塚さんの対談、3月7日には中塚さんが解説するギャラリーツアーを行う。両日とも14時から。
開館時間は10時~17時。月曜休館(祝日の場合は翌日)。入館料は500円。3月15日まで。
※東大阪市民美術センターは、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、3月1日から3月24日まで休館となりました。