企画展示「河内の古民家展」が現在、東大阪市指定文化財の旧河澄家(東大阪市日下町7、TEL 072-984-1640)で行われている。
毎年同時期に古民家に関連する企画展示を行う同館。これまで、河内地方の主屋の構造や室内装飾、庭園など、毎年テーマを変えている。今回は、河内地方の茅葺(かやぶ)き屋根と古民家で使われる石材に焦点を当て、パネルで解説する。
同館統括責任者の堀木昌彦さんによると、同館の主屋の屋根は近代になってから鋼板で覆われていたが、2005(平成17)年に始まった解体修理の際、鋼板を取り除いた下から茅葺き屋根が姿を現したという。解体修理時の記録から又首(さす)の組み方や茅の葺き方が分かったといい、概略をパネルにまとめた。
「河内エリアでは現在、茅葺き屋根が見られる住宅が少なくなってきている」とも。会場では、同エリアに現存する川中家住宅(今米)、吉村家住宅(羽曳野市)、梶谷家住宅(河内長野市)、山本家住宅(同)、左近家住宅(同)の家柄や建物の構造をそれぞれ写真を使い紹介する。このほか、河内地方に現存する茅場(かやば)や葺き替え方など、「日下村庄屋日記」に記された森長右衛門家の屋根の葺き替え記録とともにパネルで展示する。
同館のある日下エリアは、かつては石材業が盛んだった地域。同館学芸員の前野さゆりさんによると、豊臣秀吉の大坂城築城に伴い、生駒山地の石材の切り出しが始まった記録があるという。1965(昭和40)年発行の枚岡市史には、当時の日下の石材店と石置き場の分布図が掲載されており、現在は廃駅になっている近鉄奈良線の孔舎衛坂(くさえざか)駅の辺りから東高野街道まで下る道路沿いに石材店と石置き場が並んでいたという。1961(昭和36)年当時の石材業の戸数は35戸、従業員は198人だった。「当時を知る人は石を切り出す人や運ぶ人、加工する人など、7割ほどの人が石産業に携わっていたと話すほど盛んだった」と前野さん。
同地域には生駒石と日下石があり、生駒石は硬くて重く加工がしにくいため、自然石のまま庭園などに使われていた上位の石。日下石は大正時代になってから知られるようになった石材で、礎石や踏石、灯籠(とうろう)などに使われた。前野さんは「石材業でない人に聞くと、生駒山周辺で切り出された石はすべて生駒石と認識している人が多いが、名石の生駒石には定義があると知ってほしい」と話す。
パネルでは、同館で実物を確認することができる礎石や延石(のべいし)、流し、飛石、沓脱(くつぬぎ)石、縁石手水鉢(ちょうずばち)、石灯籠などを紹介する。
開館時間は9時30分~16時30分。月曜休館。入館無料。2月12日まで。