記念展示「芥川賞を受賞して直木賞選考委員になった田辺聖子の話」が現在、大阪樟蔭女子大学田辺聖子文学館(東大阪市菱屋西4、TEL 06-7506-9334)で行われている。
芥川賞掲載誌や正賞の腕時計、「感傷旅行」初版本などを展示する
6月10日の開館記念日に合わせて企画した同展。田辺聖子さんが同人誌に掲載した「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニイ)」で1964(昭和39)年に第50回芥川龍之介賞を受賞して60周年を迎える今年、田辺さんの受賞作や受賞後の活躍の足がかりとなった作品、女性作家として初めて直木賞選考委員に就任した当時の報道などに焦点を当てる。
受賞作「感傷旅行」を紹介するコーナーでは、田辺さんが1963(昭和38)年に執筆した同作の直筆原稿や初出誌(「航路」第7号 1963年8月1日)、タイトルの元となったドリス・デイの「センチメンタルジャーニー」のレコードジャケット、芥川賞正賞の腕時計や初版本などが並ぶ。
田辺さんの芥川賞受賞は、関西出身・関西在住の無名の女性だったことから当時話題となり、受賞後は多数の取材を受けた。「芥川賞もみくちゃの一週間」(「週刊文春」1964年2月10日)には、田辺さんの受賞が決まった1964年1月21日から1月27日までの生活が記されている。
同館学芸員の住友元美さんは「カメラマンの要望でエプロンを着けて買い物をしている写真があったり、同じ日に同じ服装で別の雑誌の取材を受けていたりするなど、スケジュールを見てから掲載誌を見ると面白い」と話す。スクラップブックには、司馬遼太郎さんの妻・福田みどりさんが旧姓・松見みどりの署名で書いた記事が見られる。
「もうひとつの出発」コーナーでは、芥川賞受賞後、最初に原稿を依頼した「小説現代」に書いた「うたかた」の掲載誌や、小説現代編集長の三木章さんに宛てた手紙、田辺さんのコラムや東南アジアに旅行に行くことが書かれた記事を貼ったスクラップブックなどを展示。田辺さんが後に「『うたかた』は、私のもう一つの出発点である」と書いた文章や、「『私の愛したマリリン・モンロウ』で、私は、私の書きたいように書いていくことにきめた」と書かれた文章を引用し、1964年からの1年ほどが作家生活のもう一つの出発点だったと解説する。
雑誌の小説やエッセーの連載を複数抱えていた田辺さんは1987(昭和62)年に、女性作家として初めて直木賞選考委員に就任。選考に初めて女性が加わったと、新聞や雑誌に取り上げられた。会場では、就任時の記事や選考委員のリボン、選考委員が並んだ写真を掲載する「芥川賞・直木賞100回記念展 図録」なども展示する。
開館時間は9時~16時。日曜休館。入場無料。7月1日まで。