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東大阪・田辺聖子文学館で企画展 直筆原稿や写真で阪神・淡路大震災振り返る

1月17日に開催したギャラリートークの様子

1月17日に開催したギャラリートークの様子

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 企画展「何か私のできること 田辺聖子が残した震災記録」が現在、大阪樟蔭女子大学田辺聖子文学館(東大阪市菱屋西4、TEL 06-7506-9334)で開催されている。

初展示の直筆原稿「よみがえれ神戸」と掲載された新聞のパネル

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 同館では、東日本大震災を契機に2012(平成24)年に始まった全国文学館協議会の共同展示企画で毎年3月、震災関連の資料を展示していたが、2023年からは阪神・淡路大震災が発生した1月に合わせ、田辺聖子さんが書き残した阪神・淡路大震災に関する資料を集めて展示している。

 1月17日は同館で、学芸員の住友元美さんによるギャラリートークを行った。住友さんによると、本来は毎月16日が原稿の締め切りだったが、1995(平成7)年1月16日の田辺さんは仕事をせずに、伊丹市内にある自宅の寝室で寝ていたという。震災発生直後に田辺さんが撮影した書斎の写真には本棚が机に向かって倒れている様子が写っており、田辺さんは後にその日のことを「これが頭上に落ちてきていたらと今更のようにぞっとする」と、著書「ナンギやけれど…… わたしの震災記」に記している。

 1966(昭和41)年に結婚した田辺さんは、伊丹市に転居するまでの約10年間を神戸で暮らし、神戸が好きで、思い入れが強かったという。1995年は終戦から50年の年で、空襲を経験して終戦を17歳で迎え、その後の復興を見てきた田辺さんは震災発生直後、「終戦時と現代は違う」「神戸の復興は早いだろう」「神戸は生活力旺盛なまち」「よみがえる力をたっぷりと持っていると私は信ずる」など、力強い言葉が並ぶ原稿を新聞社に寄稿し、被災者にメッセージを送った。

 神戸のためにできることはないかと考えた田辺さんは、人前で話すのは得意ではないと避けてきた講演会の依頼を受け、収益金は全額、被災地に義援金として贈られた。会場では大きなスヌーピーのぬいぐるみを飾り、被災したペットへの寄付も呼びかけた。足が悪かった田辺さんは被災地で何かをすることはできないが語り部としてメッセージを送っていこうと、インタビューや震災記執筆の依頼をできる限り受け、自身の小説のエピソードにも震災を描くなど、さまざまな形で震災の記録を残した。

 会場では、新聞社に寄稿した「よみがえれ神戸」の直筆原稿を初展示するほか、チャリティー講演会のチラシ、田辺さんが撮影した震災発生直後の書斎や地下書庫の写真パネル、対談やインタビューが掲載された雑誌、東日本大震災発生後に読むと元気になれる本として再注目された小説「花狩」など、約30点を展示する。

 住友さんは「田辺さんは作品で寄り添い、メッセージを積極的に発信した。田辺さんが残さないと、と言っていたものなので、毎年企画展を続けていきたい」と話す。

 2月18日は同館で13時30分から、住友さんが展示解説をするギャラリートークを行う。

 開館時間は9時~16時30分。日曜・祝日休館。入場無料。3月11日まで。

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