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田辺聖子文学館で追悼展 直筆原稿展示、田辺さんの文学人生たどる

特別企画展「田辺聖子追悼展~わたしたちにとって田辺聖子とは何だったのか~」

特別企画展「田辺聖子追悼展~わたしたちにとって田辺聖子とは何だったのか~」

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 大阪樟蔭女子大学田辺聖子文学館(東大阪市菱屋西4、TEL 06-7506-9334)で現在、特別企画展「田辺聖子追悼展~わたしたちにとって田辺聖子とは何だったのか~」が開催されている。

芥川賞受賞作「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)」の直筆原稿

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 今年6月に死去した作家・田辺聖子さんは、1944(昭和19)年4月から1947(昭和22)年3月までの3年間、同大学の前身の樟蔭女子専門学校に在学し、国文学を学んだ。同展では、恋愛小説、エッセー、古典をテーマにした作品など、幅広い作品を世に送り出した田辺さんの作家人生を直筆原稿などの資料とともに振り返る。

 田辺さんは、1963(昭和38)年8月に発表した「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)」で第50回芥川賞を受賞。「作家として」のコーナーでは、同作品の直筆原稿と初出誌、芥川賞受賞後に初めて原稿を依頼された「小説現代」の編集長・三木章さんに宛てた手紙などを展示。手紙は、三木さんに依頼されて書いた作品「うたかた」「金蒔絵の雲」の原稿を出したより後のもので、次の作品のために東南アジア方面を回ることが書かれている。単行本「うたかた」のあとがきには「私は、私の書きたいように書いていくことにきめた」とあり、田辺作品の転機となったのがこの時期だと分かる。

 「恋愛小説のちから」のコーナーでは、映画化された「ジョゼと虎と魚たち」の直筆原稿や乃里子シリーズ3部作「言い寄る」「私的生活」「苺をつぶしながら」の新装版などが並ぶ。「古典を学び伝える」では、同校での安田章生教諭との思い出を、「新源氏物語」の直筆原稿などと共に紹介する。

 同校で短歌クラブに入っていた田辺さんは五七調が好きで、俳人の杉田久女や歌人の与謝野晶子などの評伝作品を書いており、題字を母・勝世さんが書いた「花衣ぬぐやまつわる…… わが愛の杉田久女」特装本や、新聞連載「明治百年『炎の女性像』与謝野晶子 火の牡丹」のスクラップブックに単行本化のために書き込みを入れたものなどを展示。執筆のために資料として作成した直筆年表など、作品を書くためにどのようなことをしていたかが分かるものも展示する。

 田辺さんの作品は、舞台は関西、言葉は大阪弁というのが特徴の一つで、「大阪弁でなければ伝わらない」と、大阪弁の表記にも細心の注意を払っていたという。田辺さんが初めて受賞した賞が1956(昭和31)年の大阪市民文芸賞、最後に受賞したのが2018(平成30)年の大阪ほんま本大賞特別賞であることなど、「大阪」をテーマにしたコーナーも設けた。

 田辺さんが死去した際の報道で、「聖子さんの作品に勇気づけられた人が多いと感じた」という同館学芸員の住友元美さんは、最後に「人生の応援」というコーナーを設けた。「気張らんとまぁぼちぼちにいきまひょか」と書かれた直筆色紙や、「年齢を重ねた女性への応援や、立ち上がっていく姿を描いた作品の復刻が多い。こういう作品がこれからも読み続けられるのでは」と、「姥勝手」や「私の大阪八景」などの作品を選んだ。

 開館時間は9時~16時30分。日曜休館。入館無料。11月23日まで。

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