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東大阪で「帝国キネマ100周年イベント」 昭和初期の作品を復元、活弁ライブ上映

活動写真弁士とピアニストによる「何が彼女をそうさせたか」ライブ上映

活動写真弁士とピアニストによる「何が彼女をそうさせたか」ライブ上映

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 かつて東大阪市内に撮影所を構えた「帝国キネマ演藝(えんげい)」の設立100周年を記念したイベントが11月29日、東大阪市文化創造館(東大阪市御厨南2)ジャトーハーモニー小ホールで開かれた。

太田米男さんと山川雅行さんのスペシャル対談の様子

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 「帝国キネマ演藝」は、1920(大正9)年に山川吉太郎が大阪で設立し、東大阪市内の小阪撮影所で活動写真の製作を開始。1928(昭和3)年には「東洋のハリウッド」と称された長瀬撮影所を開設し、1929(昭和4)年には長瀬撮影所で「何が彼女をそうさせたか」が製作された。翌1930(昭和5)年2月に「何が彼女をそうさせたか」が封切りされると空前の大ヒットを記録し、「キネマ旬報」優秀映画投票第1位を獲得したが、同年9月、火災により長瀬撮影所が消失。1931(昭和6)年、帝国キネマの名は消滅した。

 イベント第1部では、おもちゃ映画ミュージアム代表理事で「何が彼女をそうさせたか」の復元に携わった太田米男さんと、帝国キネマ創業者のひ孫・山川雅行さんが対談。帝国キネマで製作した映画はほとんど残っておらず、「何が彼女をそうさせたか」らしいフィルムがロシアにあると聞いた創業者の孫の山川暉雄さんが持ち帰り、復元経験のあった太田さんが山川さんを訪ねたことから復元プロジェクトが始まったという。

 太田さんは「最初はどういう状態のフィルムか分からなかったが、字幕はロシア語で音は無く、冒頭とラストが無かった。シナリオがあったので読んだが見た感じが違い、ロシアの政情に合うように意訳されていた。コマで抜いて、ロシア語の字幕、シナリオ、小説化されたトーキー文庫から内容を吟味する作業が大変だった」と振り返る。山川さんが「日本ではあまり報道されなかったが、日本映画で初めてロシアで上映された映画だったことが新聞の切り抜きで分かった」と話すなど、数々のエピソードが披露された。

 第2部では、関西を拠点に無声映画上映会や映画祭などに出演する活動写真弁士の大森くみこさんと、日本では希少なサイレント映画伴奏ピアニストの天宮遥さんを招き、太田さんが特別編集した「何が彼女をそうさせたか」をライブ上映した。

 枚方市から来場した58歳の男性は「無声映画と活弁、ピアノが混然一体となるものかと思っていたが、途中から今の映画のように一体となった感じがあってすごかった。スタートからインパクトがあり、こんな映画は今はない。昭和5年の映画で今とは何もかも違い、捉えきれるのかと思ったが、見ている間に引き込まれていった」と興奮気味に話していた。

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