大阪府立中央図書館(東大阪市荒本北1、TEL 06-6745-0170)1階展示コーナーで10月14日、宮沢賢治生誕120年記念「メディアを横断する『賢治』-ガラス絵、絵本、マンガにみる宮沢賢治」が始まった。
1924年に出版された「注文の多い料理店」や同書の広告を掲載した復刻版「赤い鳥」
1896(明治29)年、岩手県稗貫郡花巻町(現・岩手県花巻市)で、質・古着商の長男として生まれた宮沢賢治。盛岡高等農林学校では地質学・土壌学を学び、卒業後は稗貫農学校(現・岩手県立花巻農業高等学校)の教師となる。1924(大正13)年に詩集「春と修羅」、童話「注文の多い料理店」を出版。「注文の多い料理店」は1000部刊行されたといわれるが全く売れなかったという。1933(昭和8)年、急性肺炎のため37歳で死去した。
生前はあまり評価を受けなかった賢治だが、没後は草野心平、高村光太郎の尽力により名声を高めていく。1934(昭和9)年には文圃堂から最初の「宮沢賢治全集」が刊行され、昭和10年代には「風の又三郎」が劇化、映画化され注目される。その後は多くの絵本作家が絵画化し、数々の作家による再創造作品が誕生した。
同展では、生前に出版した唯一の童話集「注文の多い料理店」の1924(大正13)年に出版されたものや、同書の広告が掲載された雑誌「赤い鳥」の復刻版、数少ない生前発表作品のうち「北守将軍と三人兄弟の医者」「グスコーブドリの伝記」を寄稿した同人雑誌「児童文学」の復刻版など生前に刊行されたものをはじめ、亡くなる2年前に「雨ニモマケズ」が書かれたとされる手帳の復元版などを展示。絵本作品は原作ごとに展示し、それぞれの作家がどのように捉え発信したかを見比べられるよう構成した。
「今回の展示にあたり、再創造作品を検索したら膨大な数の絵本や書籍が出てきて驚いた。それだけ多くの作家に愛されていると感じた」と、同館国際児童文学館の日置将之さん。絵本以外にも漫画や紙芝居などの作品もあり、「同じ作品でも作家によって捉え方が違う。違いを楽しんでほしい」と話す。
会場では、書店経営の傍ら文筆活動に力を注ぎ、1941(昭和16)年に雑誌「大阪文学」を主宰した泉啓一さんのガラス絵「宮澤賢治曼陀羅」から34点のガラス絵を展示。くり抜き額の中に、「銀河鉄道の夜」や「セロ弾きのゴーシュ」などの場面を描いた作品が収められており、「キャプションとガラス絵を見て作品を読んでみたいと思ってもらえるものになっている」という。
10月30日には小学生を対象に、賢治や作品を紹介する企画イベント「宮沢賢治について知ろう!」を開く。
開館時間は9時~19時(土曜・日曜・祝日は17時まで)。月曜・第2木曜休館。12月25日まで。