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東大阪・田辺聖子文学館で「ハイミス」企画展 働く独身女性描いた作品を紹介

第12回特別企画展「『ハイミス』へのまなざし」

第12回特別企画展「『ハイミス』へのまなざし」

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 大阪樟蔭女子大学田辺聖子文学館(東大阪市菱屋西4、TEL 06-6723-8182)で現在、第12回特別企画展「『ハイミス』へのまなざし」が開催されている。

ハイミスについて田辺さんが語った新聞記事の複製と「私の『出張結婚』」

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 田辺聖子さんの「ハイミスもの」小説の先駆けといわれる「猫も杓子も」の雑誌連載から50年を迎え、復刻版や新装版で刊行される作品に古典作品とハイミスを題材とした作品が多いことから企画した同展。

 学芸員の住友元美さんによると、「ハイミス」という言葉が誕生したのは1961(昭和36)年頃。女性の平均初婚年齢が20代前半だった時代、「オールドミス」と呼ばれる独身女性の負のイメージを拭い去るために生まれたという。

 当時は「オールドミスより若い人」「仕事をしている女性」「若い奥さん」など定義が曖昧だったハイミスという言葉だが、田辺さんの描くハイミスのヒロインたちは、仕事に誇りを持ち、自分の進む道を自分で決め、恋愛を楽しむ魅力的な女性で、田辺さんの作品によりハイミスという言葉は「憧れの存在」として定着していったとも。

 田辺さんは後に、「ハイミスもの」を書く理由として、自身や自身より少し年上の女性は、「若い男性が戦死して結婚難に直面し、老いた両親を支えつつ毅然として働く独身女性が大勢いたが、世間は彼女たちを『オールドミス』という蔑称で呼んでいた。オールドミスと違いハイミスには侮蔑の響きはなく、『こんな言葉を生みだし、広めるために文学はある』と魅力的な独身女性を主人公にした小説をたくさん書いた」と振り返っている。

 1964(昭和39)年、芥川賞を受賞した田辺さん自身も、ハイミスを代表する一人として新聞のインタビューを受けており、当時の新聞の複製や、掲載4日後に37歳で結婚式を挙げた後に寄せた「私の『出張結婚』」の直筆原稿を展示。1968(昭和43)年に連載が始まった「猫も杓子も」の連載第1回の掲載誌や、「窓を開けますか?」の初版本や挿絵原画、乃里子シリーズ三部作の第1弾「言い寄る」の直筆原稿など、「ハイミスもの」に関連する原稿や資料を集める。「平成の最後に展示したい」と、昭和を振り返って書かれた「おかあさん疲れたよ」のスクラップブックも展示し、47点の資料で構成する。

 11月10日は13時から、同展に関連した講演会を開く。住友さんの講演「『ハイミス』の時代と田辺聖子」では、ハイミスの言葉がどのように出てきてどう定着していったのかを解説し、同大学国際英語学科の小森道彦教授と講師のジェニファー・ローズ・スミスさんによる講演では、田辺聖子さんの「雪の降るまで」を翻訳した際どのように言葉を選んだか、大阪弁をどのように訳すかなど、翻訳の流れについて話す。参加無料。メールまたはファクスでの事前申し込みが必要。

 開館時間は9時~16時30分。入館無料。日曜・祝日・大学の休業日休館。11月24日まで。

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