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東大阪・旧河澄家で企画展示「上田秋成展」 「秋成の感じた空気味わって」

上田秋成ら文人が集った奥座敷「棲鶴楼」から望む枯池式枯山水の庭園

上田秋成ら文人が集った奥座敷「棲鶴楼」から望む枯池式枯山水の庭園

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 東大阪市指定文化財の旧河澄家(東大阪市日下町7、TEL 072-984-1640)で6月16日、企画展示「上田秋成展」が始まった。

秋成ら文人が集っていた「棲鶴楼」

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 河澄家は江戸時代に日下村の庄屋を務めた旧家で、母屋西側に建てられた数奇屋風書院造りの建物「棲鶴楼(せいかくろう)」は、第15代当主・常之と親交が深かった国学者で文学者の上田秋成ら、文人が集う文芸サロンになっていたという。同館では、秋成が訪れた河澄家や日下地域で過ごした日々を中心に、秋成の生涯と代表作「雨月物語」を紹介するパネル展を企画した。

 大坂・曽根崎で1734年に生まれた秋成は幼少時に養子に出され、5歳でかかった天然痘の後遺症により右手中指と左手人差し指が萎縮してしまう。教育熱心な義父の元で育った秋成は18歳の頃から俳諧を学び始め、1760年に結婚。翌年に義父の死により家督を継ぎ、商家の主人として働く傍ら執筆活動を行い、1768年に「雨月物語」を脱稿した。以降、76歳で人生を終えるまで筆を握り続け、多くの作品を残す。

 学芸員の松澤加弥さんは「幼い頃に母に捨てられたと感じていたことや病気で指が萎縮し劣等感を抱いていたことなど、意外なエピソードを選んだ」と言い、医者としては評判が良く患者に寄り添っていた一面や本居宣長の悪口を随筆に書き連ねるほど国学に真剣に向き合っていたこと、茶道具を作るほど煎茶をたしなんでいたことなどを紹介する。

 妻を亡くし、両目を患っていた秋成は療養のため、1798年5月~9月の4カ月間を日下で過ごす。日下で滞在した日々については随筆「山霧記」に記しており、パネルではゆかりの地を紹介し、「歩いて回ってもらいたい」とマップも作った。

 秋成が訪れた奥座敷の「棲鶴楼」は、「今回は展示スペースではなく、秋成が過ごした同じ場所で同じ空気を味わえる展示品とした」とし、棲鶴楼から望む枯池式枯山水の庭園では、市の天然記念物に指定されている樹齢約500年の「日下のかや」を見ることができる。「秋成もこのカヤの木を見たかもしれない。目や耳、肌で空気を感じてもらい、ゆっくりしてほしい」と松澤さん。

 9編の怪異小説を収める「雨月物語」を紹介するコーナーではあらすじを紹介し、児童向けや注釈付きなど、数種類の「雨月物語」の書籍をそろえた。

 7月8日13時からは「あんがいおまる一座」を招き、雨月物語に収録する「浅茅が宿」の朗読劇を行う。小学生以上対象。参加には申し込みが必要。残席わずか。

 開館時間は9時30分~16時30分。月曜休館。入館無料。7月15日まで。

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