高圧ガス・配管部品・産業機器の販売や配管部品加工を手がける「マツヤ産業」(東大阪市西堤学園町1)が6月、創業100周年を迎えた。
7代目社長・玉西陽二さんの曽祖父(そうそふ)に当たる溶接職人の玉西義雄さんが1924(大正13)年、大阪市内で「マツヤ熔工所」を創業。昭和初期、溶接に必要な酸素ガスは中小零細企業には入手することが難しかったため、義雄さんは1933(昭和8)年に酸素を供給する会社を設立し、1936(昭和11)年、現住所に第2工場と営業所を設立。1938(昭和13)年には発起人を募り、新たに酸素ガス製造工場を設立した。1945(昭和20)年には戦災に遭い、本店・大阪工場を閉鎖。現住所に本店を移転した。1960(昭和35)年には業界の発展のため、「大阪高圧ガス溶材協同組合」の設立にも関わり、溶接用のガスや材料の販売にも力を入れるようになった。
2代目社長の玉西義郎さんは高校卒業後に家業に就き、溶接学校で技術を磨いた。父・義雄さんが酸素会社や溶接組合の運営に力を入れるようになる中、義郎さんは家業を任されるようになり、1955(昭和30)年には法人組織に改組。1963(昭和38)年に社長に就任した。当時は高圧ガス容器の不法投棄が多く、事故を未然に防ぐため、回収した容器の集積処理場を建設すべく奔走し、1976(昭和51)年には全国に先駆けて回収拠点を建設。初代が設立に携わった大阪高圧ガス溶材協同組合の理事長を8年、全国溶材組合連合副会長も務め、業界の発展に尽力した。
ガス溶材を主な事業に、工具や機械も含めた商社事業としても業績を伸ばしていたが、1971(昭和46)年に入社した玉西敏雄さん(5代目社長、現・相談役)は新規商材の開拓を命じられ、配管部品の継手(つぎて)商品の取り扱いを始めた。商社として販売するだけでは後発のため、「お客さまのお役に立つ製品やサービスとは」と、販売した製品がどのように使われるのかを現場で確認し、後工程の加工などの作業を行って納品する形を提案したところ現場に受け入れられ、その後、配管加工事業として発展していった。
現在は「溶接機・溶材、産業機器販売」「製缶・溶接、板金加工事業」「継手、バルブ配管部品、油圧機器販売」「配管部品アセンブリ事業」の4つの事業を柱としており、加工事業では、内部洗浄、パイプ曲げ、継手の取り付けなど、さまざまなニーズに合わせ、これまで培ってきた複数の加工をまとめて製品を納めている。
入社9年目、コロナ禍の2020年に7代目社長に就任した玉西陽二さんは、社員の安全と雇用を守るために社内のIT化を進めるとともに、製造業の省力化、省人化に取り組み、昨年にはロボットSI事業を立ち上げた。配管以外の装置の組み立て、アセンブリの種類も増えてきたという。
100周年を迎え、「ものづくりを通して世の中に貢献していくというスタンスは変えない。ニーズの幅は広がっているので、これまでの商品だけでなく、ものづくりの課題解決が何かを考え、誰かのお役に立ちたいという利他の精神のもと、より付加価値の高い形で貢献したい」と話す。