「郷土の人々 紙芝居画展」が現在、東大阪市指定文化財「旧河澄家」(東大阪市日下町7、TEL 072-984-1640)で開かれている。
同展では、「お寺の出前!紙芝居屋亭」として、紙芝居を通して分かりやすく仏教の教えを伝える活動に取り組んできたという浄土真宗本願寺派寛弘山観念寺(大阪府南河内郡河南町)の住職・宮本直樹さんが製作した紙芝居を紹介。宮本さんは仏教法話のほか、地域の偉人や文学作品など約200の紙芝居を製作しており、今回は、同館や同館のある日下地域にゆかりのある人物4人の作品を展示する。
中甚兵衛は、度々洪水に見舞われていた地域を救おうと、半世紀にわたり大和川付け替えに奔走した人物で、中甚兵衛の次女が河澄家に嫁いだ縁で中家と河澄家は親戚関係に当たる。明星派歌人の石上露子(いそのかみつゆこ)は、富田林の豪商・杉山家に嫁いだ河澄家19代当主・雄次郎の娘・ナミの長女で、初恋の人に対するかなわぬ思いを詠んだ「小板橋」で、その名を不朽のものにしたとして知られる。
江戸時代中期から後期にかけて河内国で活躍した慈雲尊者は、1744年に長栄寺(高井田元町)を再興して住職となり、修行や講義などの活動を行った。能筆家としても知られ、同館の奥座敷「棲鶴楼」の名を揮毫(きごう)した扁額(へんがく)が今も残る。行基は東大寺大仏造営に尽力し、同館近くの日下墓地の一部は、行基が建立した四十九院の一つである石凝院の遺跡であると考えられ、現在、日下墓地には行基菩薩供養塔と石凝院跡碑が建てられている。
同展ではこの4人を題材にした4作品の紙芝居画48点を展示。宮本さんがなぜこの人物の紙芝居を作ったか、どのような人物だったかを記したボードを添える。
同館統括責任者の堀木昌彦さんは「紙芝居にすると大人もよく分かったと言っている。名前は知っているがよく知らないという人に理解してもらい、親しんでもらえれば」と話す。
開館時間は9時30分~16時30分。月曜休館。入館無料。9月26日まで。